こんにちは、夫です。
タイトルを見て驚かれた方も少なくないと思います。
実は私、小学校の頃に無人島に行った経験があります。
しかも授業で(笑)
自分では当たり前のことだと思っていましたが、地元を離れてその時の事を話すと、意外と周りからの反響があるので遠い記憶を呼び起こして体験談をシェアしたいと思います。
事の発端

参照元:尾道まちかど広報室
”自然観察を通して地域の自然のよさを学習し自分たちの住む地域を愛する心を育てる”という名目のもと、 総合的な学習の時間というゆとり世代を象徴する授業の一環で、自分たちでイカダを作り、無人島に渡り無人島生活をしました。
地域を愛する心を育てる~までは分かりますが、 自分たちでイカダを作り無人島に渡り無人島生活をしようという考えに至った経緯は全く記憶にないです。
授業でやったこと


授業でやったことをリストアップしてみると、こんな感じです。
~準備段階~
- イカダづくり
- 食料の調達方法調査
- 自然における食器の作り方調査
~無人島活動当日~
- イカダでの航海
- 現地での食料調達
- みんなでの食事
イカダ作り


15年くらい前の記憶なので曖昧ではありますが、思い出しながら書いていきます。
まず無人島に向かう上で欠かすことのできないイカダ作り。
私の学年は全部で18人で(少ないw)、確か3隻のイカダを作ったと思います。
イカダ作りの際は、地元漁協組合の方々に全面的にご協力いただきました。(田舎ならでは…。)
大きな木材を切ったりなどは漁協の方々がやってくれましたが、実際の組み付けや船体のデザインなどは自分たちで行いました。
完成した時のことを思いながら、作業を行っていた時のワクワクは今でも覚えています。
食料の調達方法


無人島に渡るともちろんお店はひとつもないので、自分たちで食料調達をしないといけません。
無人島なので、魚介に着目し瀬戸内海で取れる貝や海藻などについて調査をしました。(キッズgoo、懐かしい。)
磯遊びの延長で海の食料を採集するという方針でしたが、なぜか私は釣竿を持って行った記憶があります。
あと本当になぜだか全く思い出せませんが、自分たちでパンを作る方法を調べていた記憶もあります。
もちろん火の起こし方などについても調べ、実際に行く前に木と木を擦り合わせて火をおこす方法などを実践して、サバイバルスキルをぬかりなく磨いていました。都会育ちの小学生は経験しないですよね。
無人島における食器の作り方調査


無人島で取れた食料を余すことなく効率的に摂取するためには、お皿の存在は必要不可欠です。
事前に自然で容器になりそうなものなどを考えて調査を行いました。(これまたキッズgoo)
彫刻刀などで木などを掘るなどのアイデアがありましたが、最終的には竹を縦に半分に切って、節の部分をうまく利用してお皿にするという形にしました。
これも記憶が曖昧ですが、なぜか現地で調達せずに事前に竹のお皿を作って、持って行ったような記憶があります。
イカダでの航海


当日は保護者や下の学年の生徒などに見送られながらの出発となります。
気分はさながらワンピースの海賊のよう。
目的地までは 1kmほどで、それぞれがオールを一本ずつ持ちイカダに推進力を加えます。
たかだか1 kmほどの道のりですが小学生の筋力などたかが知れているので、いつまでたっても到着しないのではないかと思った事を鮮明に覚えています。
しかし、皆で力を合わせて一つの目的地を目指したあの経験は、自分にとって貴重な経験になったと今でも自信を持って言えます。
現地での食料調達
パン焼き班と貝取り班と釣り班の3つに分かれて、食料調達をしました。
もちろん私は釣り班でした。
貝取班は磯部で事前にキッズgooで調べたスガイやタニシなどを捕まえたり、パン焼き班はどこからともなく用意したパンの材料を竹の器を使って焼くという任務を。
そしてわたくし率いる釣り班一同は、釣りに勤しみました。
基本釣れるのはフグばかりでしたが、 なんとベラという根魚をヒットさせました。
ただベラを釣った時に、思った以上に針が飲み込まれてしまっていたため、うまく針をとることができませんでした。
それを見て、近くにいた上から読んでも下から読んでも同じ名前を持つ先生(しんぶんし先生)が針をとるのを手伝ってくれました。
この時のことははっきりと覚えているのですが、しんぶんし先生が奮闘しても針がうまく取れなかったので、最終的には思いっきり引き抜いて、魚の口を引き裂いて取っていました。
その時にしんぶんし先生が、お経を唱えながら針を引き抜いていたのを見て、子供ながらに食事とは命を頂くことなんだなあと感じた記憶があります。
無人島での食事


無人島での食事は釣ったベラと、大量の茹でた貝と焼きたてパンという謎の組み合わせでしたが、ただただ楽しかった記憶があります。
どんな場所でも自分の好きな人達と食べるものは格別だということを、この経験を通して知ることができました。
あまり味は覚えていないですか、唯一焼いたパンの端が焦げており、それがとてつもなく苦かったことだけ覚えています。w
さらに地元の漁協組合の方々のご厚意で、漁協で養殖しているヒラメを我々に振る舞ってくれて、ムシャムシャ骨までしゃぶりついていました。
最近気づきましたが、こういう子供たちの教育のために地元の方が協力してくれるというのは当たり前ではないので、しっかりと感謝しなければならないなと思いました。
この経験を通して学んだこと


就活の時のエントリーシートでよく見るような見出しで申し訳ないですが、当時を振り返って学んだことについてまとめます。
- 主体性をもって物事を進めること
- 仲間と協力し合うこと
- 仲間と一緒に目標を達成する喜び
- 命の大切さ
- 自分たちが住む地域の自然だけでなく人々の素晴らしさ人に感謝するということ
- あらゆる恩恵を受けて生きているということ(電気、ガス、水道、食事…など)
羅列していくと綺麗事のように見えますが、小学生の頃のまだ純粋だった自分にとっては相当インパクトの残る体験となりました。
この活動を経て学んだことは、 自分の人間性の基盤になっていると確実に言えます。
今でもこの活動は続いているみたいで、正直色々と言われる時代にはそぐわない活動だとは思います。
しかし、あれもだめこれもダメで育つ子供とどっちが面白い人間になるかは考え無くてもわかると思います。
年々人数が減ってきて、私の母校もなくなるかもしれないという状況になっています。
こういった経験は滅多にできることではないので、今の地域で子どもを育てることに対して不安がある方や将来地方に移住して子育てを行いたい方は、一度検討してみてはいかがでしょうか。
最後にこの活動を支援してくださった高見小学校の教職員の方々、および漁協組合を含む地域の皆様方。本当にありがとうございました。
皆様の協力があったおかげでここまで大きくなれたと思います。
本当にありがとうございました。
∇高見小学校HP
画像参照元:自然体験.com