SNSのいいねが「ありがとう」を超えることはない

いいねはありがとうを超えない




 

見てくれてありがとうございます。

今日は皆さんが利用されているSNSと現実世界の話。

日々インスタやツイッターなどのSNSで「いいね」を求めて投稿が行われています。

「いいねが欲しくて投稿しているわけではない」と思っていても、投稿を行う時点で人は他社からの「承認」を求めています。

いわゆる「承認欲求」ですね。

 

承認欲求があることは別に恥ずかしいことではないと思います。

ただ、今回話したいことは本当に欲しいのはSNS上の「いいね」の数ではないのではないかということ。

 

こうして投稿している私ももちろん、他者からの「承認欲求」を満たすために書いています。

どうぞご査収ください。

 

 

キッカケはボロいメシ屋

キッカケはとある休日に立ち寄ったメシ屋。

 

「ボロい」ってちょっと言い過ぎなんじゃ・・・と思う人が居るかもしれませんが、それが本当にボロいんです。

 

 

ちなみに外観図がコチラ

ボロい飯屋の外観

 

もはや営業しているのかすらも怪しいその風貌。

営業中の看板

 

営業中の看板ももはや営業している意図を伝える気でいるのかも怪しいレベル。

とにかく所見では入るのをためらうレベルですが、その時はお腹もすいていたので怖いもの見たさで入店することに。

 

老夫婦で営んでいるお店で、入ると狭い店内に4人掛けの机が2つ。

一つは雑誌や新聞が山積み状態の傍らに近所のおばあさん的な人がいたので、消去法的にもう一つのテーブルへ。

メニューの写真

参照:Googlemap

 

メニューは手書きではあるが以外にもちゃんとしたものが並んでいました。

友人含めて4人で行ったのですが、誰も店の外に書いてあった餃子には触れず、定食を注文。

友人二人は「ホルモン定食」

嫁は「昼定食」

そして私は、端の方に新しい札に書かれた「令和定食」なるものを注文。

 

待っている間、机のべたつきや机の上の調味料の賞味期限を確認しながら、

「水は何倍飲んでもタダだからね。ははははは」と言ってくるおじいさんを皆愛想笑いでいなす。

とりあえずぼったくりの意思があるような悪い人ではなさそうということを確認。

 

 

しばらくして料理が運ばれてくると、「昼定食」が1つと「ホルモン定食」が3つ机に運ばれてくる。

あれ?令和定食は?と思っておじいさんに聞いてみると、

「令和定食は名前だけ!!!!ははははは」と爆笑しながら回答が。

 

そんなおじいさんのハッピーオーラに押され「まあいっか」と思いながら実食。

店の外観から散々警戒していたけど、ボリュームだし本当においしかった。(しかも一人580円)

 

皆も満足したみたいで「ごちそうさま、おいしかったです。」とおじいさんたちに感想を伝えながら会計を。

おじいさんもにこやかに笑いながら、「ありがとう、ありがとう」と何度もお辞儀をしてきたのが印象的でした。

 

会計を済ませ、店を出ようとしたときに厨房で作業をしていた、おばあさんも顔を出してくれて、帰り際の我々の背中に

「ありがとう」と感謝の言葉を浴びせてきました。

 

文字では言い表せないのが悔しいですが、そのありがとうは間違いなく「心から感謝を伝えたい人の言う『ありがとう』」で、

心の奥底があったかくなるようなそんな感覚すら覚える物でした。

 

友人たちも同じようなことを思っていたようで、帰りの車内でもだれからともなく話始め、

「自分たちが本当に求めているものって、あれなのかもしれないなあ」と、散々警戒していたボロい飯屋に皆が気付かされました。(おじいさん、おばあさんごめんなさい)

 

現代のSNS

次はSNSの話。

先日テレビでSNSについての特集がありました。

 

結論から言うとその内容は、「最近のSNSはインフラ化している」ということを意識しなければならないということ。

 

その番組によると最近の若者は「映え」よりも「チル」に移行してきているとのこと。

チルは英語の”chill”のことで「肩の力が抜けてゆったり過ごす」というような意味で使われている。

英語圏のドラマやSNSを観ていると当たり前に見聞きする言葉。

一所懸命「映え」のためにがんばるのではなく、ありのままの自分を共有したいらしい。

 

そこで、「映え」ない写真を投稿して「チルってる」や「#チル」などと書き込む。

 

電通若者(わかもん)研究部の人曰く、

「若者にとってSNSはインフラ化している。『映え』のためにがんばることに疲れてきたが、完全にSNSをやめる(=インフラを完全に断つ)ことができない。だから、せめてもの抵抗として『映え』ないものを投稿する。」

 

取材を受けた女学生曰く、

「以前は『映え』のためにお金を払って旅行に行ったり、温かい食べ物が出されても『映え』具合に納得するまで何枚も写真を撮ったりしていた。そんな生活に疲れたし、疑問を持った。そこでありのままの自分を投稿するようになった。周りにどう見られるかを気にせず普通の日常を共有したい。」

 

これに対して私の友人は、

「疲れたからやめる、ではなく形を変えてでもSNSに投稿を続けていることに驚いた。

それがまさにインフラ化という意味か。

ストレスなく使えて当たり前の存在になれるSNSが流行るのか?

それは果たして意義のあるものなのか?

何より、周りにどう見られるかを本当に気にしない人はわざわざ写真撮って投稿しねぇだろ!」

という意見をぶつけていた。

 

友人の意見は確かにわかるが、映えに疲れた若者でも手放せていないというのも事実。

色々な人と電脳世界でつながれるようになった反面、リアルでのコミュニケーションが減ってきているために、

「自分の存在価値を感じられる場」がSNSにしかないと無意識に脳が認識している。

そして「映えはツカレタ」とか言いながらも心のどこかで、「いいね」を求めている。

きっとそういった「ありのままの自分」を投稿することの裏側に人間の性である「欲求」が働いているのではないかと感じました。

 

これからを生きていくために

これを見たからと言って、SNSをやめる人が居るとは思っていません。

ただ今回の記事で私が伝えたかったのは、「自分の欲求を理解すること」と「SNSのいいねよりももっと価値のあるものがあるということ」です。

 

欲求は無くならないです。いやほんとに。

だからしっかりと理解してあげてください。

 

そしてその欲求を満たすために、みんなにウケそうな写真やおしゃれな写真を投稿することに時間を掛けるのではなくて、

目の前の人に「ありがとう」と言われるために努力してみてください。

 

自分だけかもしれないですが、死ぬときに「いいねめちゃくちゃもらえた走馬灯」ってきっと流れないと思うんですよね。

そんなことよりも「あの時目の前にいたあの人にめちゃくちゃ感謝されたこと」とかの方が絶対に優先的に流れてくるって。

 

だからなおさら。

いいねの数じゃなくて、人のためになるように生きることを心掛けてください。

もし具体的に何をすればいいかわからないという人は、まずは自分が「ありがとう」を言える人間になってください。

そうすればきっとそれが、周りの人のためになりますから。

 

 

 

この記事どれくらいいいねもらえるんだろう。

 

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